2010年の6月ごろだろうか
MEGWIN TVに入って半年ほどで、
はじめてMEGWIN TVのライブに参加した
当時は半年に二回ほどのペースで
普段よりも豪華なネタの動画を作って
実際にお笑いライブの会場を借りて客を招き
プロジェクターで上映しながら
MEGさんとMCの梶田ガクシさんが茶々入れするという
ライブを開いていた
そのライブの中で上映する以外にも
ちょっとした寸劇、というかコントをしたりして
その中で自分も少し出番を貰い
客前に立って色々やったりした
そんなライブを終えて間もなく
MEGさんにある命令がくだされた
「お前はお笑いのイロハをわかってない。
だからお笑いライブに出て学んで来い。」
その時自分はライブのときに
MEGさんの一発ギャグを連発するコーナーがあったが
1つもウケてなかった事を思い出したが黙っておいた
そうして急にお笑いライブに出る事になって
1人きりで出るにはとても不安だったので
自分がMEGWIN TVに入る少し前に入ってた
同い年の先輩、コンボイさん(正式名称コンドームボーイ)に
お声がけしてコンビで出ようとしたのだが
「知らん。やるならお前一人でやれ
それよりもこないだバイト先の本屋で
万引きを捕まえたんだが・・・」
と関係ない話を延々と聞かされた
なので腹を括り1人でライブに出る事になった
お笑いの事務所も養成所も入っていなかったが、
調べてみるとフリーの芸人でも出演できるライブが色々ヒットした
それはチケットノルマといって
劇場からチケットを買い取って
お客さんに自身で販売して赤字を補填する、というものだが
人見知りな自分が売りさばけるワケもなく
出演するためにノルマの数千円を払うという
赤字続きのライブ出演をしていた
のちのち調べたら自分同様に人見知りだったり
ただ面倒だからということで
赤字承知の上でライブに出演するという芸人も結構いて
その中にはのちに賞レースのチャンピオンになって
全国区のタレントになった人もいるくらいだった
でもそんなのはほんの一握りの人材で
実際にそういうノルマさえ払えば誰でも出演できるライブというのは
今で言う地下ライブというもので
ネタの持ち時間、ひたすら意味の分からない事をわめく人や
黙々と中国ゴマを回し続ける人や
掃除機のホースを口に着けてエースパイロットのマネする人など
お笑いというより自身の表現を見せ続けるだけ、
というクオリティの人たちが大半だった
そう言う自分もどんなネタをしてたかと言うと
靴下の裏に画鋲の平たい所を満遍なく貼り付けて
ネタの持ち時間が1分なら1分、2分なら2分間
「画鋲をしこたま踏んだーーーッ!!!」と言って
転げまわるだけ、というネタとも言えないものだった
ライブ中にお客さんにはアンケート用紙が配られ
面白かった芸人に投票できるシステムが多かったのだが
自分は万年最下位だった
先ほど挙げた表現者たちよりも下でした
しかしそんなライブでも、
以前Dchに出演して頂いたくじゃく団さんなど
ちゃんと面白かった芸人もいたし、
2026年の現在、テレビなどで見かける
有名人になった芸人もチラホラ存在した
当時はまだ本田圭佑のモノマネをしてなかった
じゅんいちダビッドソンさんだったり
今は知的なコントを披露しているが
当時は実際にブルマを持って踊っていた
紺野ぶるまさんだったり
まだ娘さんと完熟フレッシュ結成する前だった
父の池田57CRAZYさんとかが
一緒のライブに出演されていた
そんなお笑いライブ修業も3か月ほど経ったころ、
ふたたびMEGWIN TVライブが開催するに伴い
「お前いつまでライブ出てんの?
ライブの準備手伝ってよMAJIDE」と
お得意の自身が言ったことを棚に上げての要請を受けて
以来お笑いライブに出演する事はなくなった
あれから十数年経って
当時出演されてた芸人さんの大半はいなくなったが
上記の他にもチラホラ未だに芸人活動してる人を見ると
「あの時一緒の舞台に立ってたんだよなぁ」
と懐かしい気持ちになる
まぁもう一度出演するかと言われたら絶対イヤだけど
すみません、本当はあと一組のちに有名になる芸人がいたようで
そのことに関して綴ろうとしたかったのですが
(何ならそれがこの記事のメインだった)
寸前によく調べ直してみたら自分の勘違いだった事が判明して
オチが宙ぶらりんになったってワケ
D-blog
D-channelの動画の裏話 もしくは気まぐれに思ったこと書きます
2026年4月26日日曜日
twl、劇場バイタス、ハイジアV-1などに出てました
2026年3月3日火曜日
上十条2丁目7番地11号に関する疑念と考察
先日テレビを見ていたら私でべそが前に住んでいた十条が映っていた
JR十条駅前の様子がパっと映っていたのだが
自分が住んでいた頃とはまるで違った
去年自転車で訪れてもいるし頭ではわかっていても
ふとその映像を見るとやはり慣れない
現在十条駅の北口から見える左側には大きなマンションが聳え立っており
その横にはクイーンズ伊勢丹などが入った商業ビルを構える
こんなの自分が住んでた頃は一切なく
なんか銀行とか雑居ビルみたいな数階建ての建物がポンポンと置かれてたイメージだ
駅の右側はあの頃からほぼ変わっておらず、
そのような雑居ビルがそのまま左側まで続いてた記憶である
まぁ自分が住んでいたのは18年前から14年前の話なので
それだけ経ったら変わる物は変わるという話だが。
てかいざ数字で起こして、もうあの頃からそんなに経つのか、とビビってる
あの左側のほうで、人生初の松屋を経験したり、
藤岡さんに洋食屋を奢ってもらったり、
家のネットが繋がらなくなってその辺りにあったネカフェに入り
ふと当時好きだったお笑いの2ちゃんねるのスレを見つけて
覗いてみたら罵詈雑言の嵐でショックを受けたりと、色々思い出があった
全部、全部なくなった
もちろんそれを憂う気持ちはあるが、
自分はどちらかというと町が新たな形に変わっていくのを見るのは好きな方だ
あの下町人情にあふれた十条にあんな立派な建物が建つなんて、と
もう住んでも無いのに嬉しくなる
ただその商業ビル、既に需要が尽きていてテナントがすっかすからしい
なんかそれも十条っぽい気もする
都内の、しかも北区でゴーストタウンぽい建物が出来るって何かオモロくね?
今は「金の無駄遣いだー」という声が強いかもしれないが
暫くしたらそれを自虐してなんか有名スポットになりそうな可能性を秘めてる
と、自分は希望を抱いているとかいないとか
さて、ここまで語っておいてなんだが本来話したい内容はここからだ
我ながら前フリが長すぎてひいてます
先ほど町が変わっていくのが好きと言ったが、変わらないのもそれはそれで好きである
駅の左側にでかいマンションが出来たが、
そのマンションの後ろ側には都道455号本郷赤羽線という
車の通りが多い2車線が通っていて
その道の向かい側には、ブックオフが存在する
そのブックオフは自分が住んでいた頃からずっと変わらずあるのだ
去年自転車で十条を訪れた際、駅前の光景に大層驚いたが、
その手前の何も変わらないブックオフを見て、絵も知れぬ安心感を覚えたものである
他の店舗ではどれだけあるのかわからないが、
十条のブックオフは、赤い
出入口のドアのフチを大きく赤で色塗っており、
その鮮明な赤色がいつまでも忘れなくさせる
そのブックオフの前に自転車が何台も駐輪してて
たくさんの利用者がいるイメージである
が、そこまで思い返して、ふと気付いた事がある
「十条のブックオフ・・・一回も入店した事なくね?」
私でべそは地元の長岡に居た頃は川崎(神奈川ではない)にあるブックオフに
ちょっとした時間があれば入り浸っていた
立ち読みを黙認してくれる雰囲気がたまらなく好きだった
人生で初めてCDを買ったのもその店舗だ
高校の頃同級生の家で聞いていたT.M.RevolutionのCDがあったので
これ幸いと買ったのだが、「ディスコリミックス」と書かれていて
自分の知ってる往年の曲がどれもディスコ調になってて
頭がバグったのも良い思い出だ
そんなブックオフ崇拝の気持ちは上京しても変わらず
道端を歩いていてブックオフを見つけたら絶対に入店していた
何かを買うわけではないが、どういった間取りか、何を売ってるか、など
様子見の気持ちで入るのだ
秋葉原の店は数階建てでテンション上がったし、
詳しい場所は忘れたが確か笹塚辺り?のブックオフは
もう閉店間際だったのか本棚がスッカスカでセンチメンタルな気持ちになったり
ふとテレビで「五反田のブックオフはデカい」という情報を見て
わざわざ十条からチャリ漕いで五反田まで見に行ったこともある
そこであのねのねのベストアルバムを買ったのも良い思い出だ
そんな自分が、その帰りも含めて、
十条のブックオフには、一回も入った事無いのだ
一体どうして?一番身近に在った筈なのに・・・何度か前を通った筈なのに・・・
そこでふと自分はある言葉を思い出した
「アナウンス効果」
これは本来選挙などで用いられる効果なのだが、
例えばAという候補者が選挙前に「選挙に勝ちそうだ」という情報が流れると
それに安心してBやCなどの別の候補者に目が行ってしまい
結果的にAに票が集まらなくなる、というものだった筈
(ウリナリ解散総選挙で見た知識なので違ったらすみません)
別に誰かしらにアナウンスされた訳ではないが、
最寄り駅にある「まぁいつでも行けるか」という安心感が
結局十条を去るまでの4年間ずっと続いていたのかもしれない
いつかまた十条を訪れる機会があったら
その時は初めてブックオフ十条店と、スッカスカの商業ビルを見て回りたいなと思った
今日この頃でした